ギフティッド――。
カナダには、いわゆる天才児を政府が認定し登録する制度があり、登録された子供のことを「ギフティッド」と呼ぶ。日本語の「天才児」には「異常に頭がいい子供」というニュアンスがあるが、カナダでいう「ギフティッド」はいささか趣を異にする。後に詳しく説明するが、ギフティッドは単に学力が高いだけの子供に与えられる称号ではない。
2014年春、大川翔君という日本人のギフティッドがカナダのメディアを騒然とさせる快挙を成し遂げた。9歳でギフティッドに認定された翔君は、12歳のとき飛び級をしてトーマス・ヘイニー高校に入学。そして、実に14歳にしてカナダの名門大学5校に合格してしまったのである。しかも奨学金やアワード(賞金)付きで……。
翔君が合格した大学はマギル大学、ブリティッシュ・コロンビア大学、トロント大学、サイモン・フレーザー大学、ビクトリア大学の5校。いずれもカナダを代表する一流大学であり、翔君が進学を決めたブリティッシュ・コロンビア大のライフ・サイエンス部門はカナダで第1位にランキングされる超難関だ。
同校から翔君に提示された奨学金は3万ドル。同時に給与付きのリサーチ・アシスタント職としての採用もオファーされた。飛び級による14歳の、しかも奨学金付きの大学合格はカナダでもほとんど前例がなく、テレビや新聞が大きく報道することになったのである。
日本に一時帰国した翔君と母親の栄美子さんに会うことができた。日本のメディアに登場する「天才児」たちには、たしかに頭はいいけれど人間としてどこかバランスを欠いていると感じさせる子供が多いが、翔君はそうではない。栄美子さんと相当な早口でコミュニケーションを取ること以外、翔君に対して違和感を覚えることはなかった。
カナダでいうところの「ギフティッド」とはいったいどのような資質と能力を持った存在なのか、興味が湧いた。
両親の仕事の都合で翔君がカナダに渡ったのは、5歳の時である。カナダにはキンダーガーテンといって小学校への入学準備をする学校があり、翔君もそこに入学している。英語のリスニングは0歳の時からやっていたが、読み書きはほとんどできない状態だった。
カナダの小学校はグレード1(1年生)からグレード7まで7年間あるが(州によって異なる)、翔君がギフティッドの推薦を受けたのはグレード3、8歳の時だ。栄美子さんが言う。
「最初は学校にいる専門の先生が、この子はギフティッドかもしれないと推薦してくださいます。その後、学校レベルの試験、教育委員会レベルの試験など何段階もの試験があり、おそらく精神的なバランスを見るのだと思いますが心理学者による面接などもあって、登録までに半年以上かかりました」
学力テスト(数学・英語)、知能テスト、論理テストなどで高得点を取る必要はあるものの、ペーパーテストの成績だけで登録されるという性質のものではないらしい。では、ギフティッドとはいったい何者なのか。翔君自身に定義してもらおう。
「ただ勉強ができる人ではなくて、自ら興味を持っていろいろな情報を集めて、そこから何かを創造する人のことだと思います。神様からそうした能力をギフトされた人を政府が登録して、その能力を社会に貢献させようというのがこの制度の趣旨だと思います」
もちろん学力や知力もトップレベルでなければ推薦は受けられないが、より重視されるのは「想像力とアントレプレナー(起業家)としての資質」だというから驚かされる。翔君自身、推薦を受けるきっかけになったのは、学内で自ら仕掛けたあるイベントではないかと考えている。
「推薦を受ける前にShow & Tellという授業で映画『インディアナ・ジョーンズ』(邦題は『インディー・ジョーンズ』)の続編を創作して劇に仕立てて、みんなの前で発表したのです。ストーリーを僕が書き、他の生徒も巻き込んでプロップ(小道具)を作ったりして。そういうことをオーガナイズするところを先生は見ていたんじゃないかな」
Show & Tellとは生徒がクラスメートの前で行う手軽な発表会で、カナダの小学校(低学年)ではほぼ毎日行われている。基本的にネタは何でもいい。思い出の品を持参してそれについて語ってもいいし、一芸を披露してもいい。カナダの学校ではこのShow & Tellのように、自力で何かを企画してそれを人前でプレゼンテーションする能力を徹底的に磨かれるという。栄美子さんが言う。
「タレントショーといって音楽やダンスをみんなの前で披露するイベントもありますが、なんとタレントショーにはオーディションがあるんですよ」
翔君が続ける。
「あまり上手じゃない子でもガンガン応募するんです。当然、落ちるんだけど、何度も何度もトライする。そういう姿を、みんなが笑ったり意地悪く言ったりすることは絶対にない。カナダは『一歩前へ!』という文化だから、チャレンジすることを先生も生徒も否定しないのです」
カナダの学校の様子を聞いていると、横並び意識に縛られている日本の子供たちとのギャップに愕然(がくぜん)とさせられる。
「とにかく手を挙げることが奨励されているので、先生が『質問は?』と尋ねるとみんなどんどん手を挙げる。指されて、『質問を忘れました』なんてケロリと答える子もいます(笑)」
どうやらギフティッドにはアントレプレナーとしての能力と同時に、こうした積極性も重視されるらしい。そしてカナダの学校には、生徒が主体的に内容を考える授業やイベントが山のようにあるらしいのだ。
「Show & Tell やPoetry Recital(小道具を使いながら詩を朗読する)があったり、スピーチコンテストやドラマ(劇)の授業があったり、カナダの学校は毎日が文化祭みたいな感じです。地域でのボランティア活動も盛んで、翔は図書館で小学生に英語を教えるメンターになったり、シニアにコンピュータの操作を教えるボランティアをやったりしていました」(栄美子さん)
これ以外にも翔君は学内外を問わず、自らイベントを企画して周囲の人を楽しませ、地域に貢献することをたくさん実践してきている。こうした実績を聞いてみると、翔君の言う「自ら興味を持っていろいろな情報を集めて、そこから何かを創造する人」というギフティッドの定義に納得がいく。
では、ギフティッドに登録されると、その先にいったい何が待っているのだろうか。
翔君によると、ギフティッドのプログラムは登録された生徒だけが教育委員会に集められて行われるものが多い。内容は特訓といった類いのものではなく、知的好奇心を刺激するものといった方がいいようだ。
「シェークスピアの『お気に召すまま』を400年前に書かれたままの原文で読んで、それを劇にしてみたり、嘘発見器を作ってみたり。大学の先生が来て法医学や素粒子物理学やコンピュータサイエンスなんかの話をしてくれたり。ギフティッドのプログラムはとても面白かったですね」(翔君)
ところで翔君は、グレード6の時、グレード6とグレード7のコンバインドクラス(学年混合クラス)に入ってグレード6で小学校を修了し、そこからいきなりグレード10(高校1年)に飛び級している。翔君の両親は、彼に特殊な英才教育を施してきたのだろうか。
「1歳頃からイギリスの放送局BBCが開発した『MUZZYとともだち』という英語のDVD教材や『きかんしゃトーマス』の英語版などを聴かせていました」(栄美子さん)
弁護士として仕事をしている栄美子さんのクライアントには、当時から英語がネイティブの人が3割近くいた。栄美子さん自身、読み書きはできるもののリスニングは不得意で苦労が多かったため、リスニングのトレーニングだけはなるべく早い時期からやった方がいいと考えていたそうだ。
英語のリスニング以外にも、大川家ではさまざまな早期英才教育を翔君に施している。その全貌については『ザ・ギフティッド』(大川 翔・扶桑社)をお読みいただきたいが、興味深いのは栄美子さんの考え方だ。
「脳と五感をいかに鍛えるかを考えて、ピアノは3歳から、空手は5歳から始めさせました。本の読み聞かせもよくやりましたし、夫も私も翔が保育園に通い始めた頃から一生懸命に話しかけるようにしていました。先生が連絡帳に書いてくださったことをネタに、翔がしゃべりやすいようにうまく誘導してやるのです。それも幼児語ではなく、きちんとした日本語で、です」
たとえば、「原っぱ公園で転んで怪我(けが)をしました」と書いてあれば、「今日は原っぱ公園に行ったのかな?」と誘い水をかけるといった調子。こうした細やかな配慮によって、翔君は2歳になる頃には、すでに8~9語の文章で話せるようになっていたという。
図書館や博物館、水族館や動物園にもよく出かけた。また、2歳半で知能開発教材「すくすくどんどん」、3歳からは公文の国語と算数、七田式のプリント、4歳からは漢詩や論語、百人一首の素読、小学1年生では日能研の「知の翼」、2年生からは1年前倒しでZ会の「受験コース」を受講してきた。栄美子さんは言う。
「新しいことを簡単に習得できたわけではなく、積み上げたことの上に次があるという地道な考え方でやってきました。日本のお子さんの中にもギフティッドはたくさんいると思いますよ」
強制ではなく誘導によって自然に学習させるスタイルは、カナダの教育との親和性も高かったようだ。翔君が言う。
「なにしろカナダは褒めまくり文化ですから、ちょっと何かをやっただけですごく褒めてくれる。僕はカナダに褒められて育ったと思っています。こうしてマスコミに取り上げられたりすると、日本代表としてもっともっと頑張ろうって思うんです」
横並び意識やプレッシャーとは無縁の翔君。将来の夢は、「世界の謎を解き明かすこと」だそうである。